こんにちは、いわさき司法書士事務所のミサカです。
肌寒い朝となりました。
午後からは陽が差し20度近くまで気温が上がるということですが、はたして。
まだまだ寒暖の差がありますね。

花冷え、というにはずいぶん時期遅れですが、ここコイン通りでは遅咲きの八重桜が盛りを迎えています。造幣局では桜祭りが行われており、先週から花見客でずいぶんとにぎわっています。残念ながら造幣局の敷地内では飲食が禁止ですが、日没後には雪洞も灯され夜桜も楽しめるようです。

さて突然ですがここでひとつ判じもの。春といえば桜。では、桜といえばバナナ、この心は?

* * *

かつて平安の世、
――世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
と桜のうつくしさを逆説的にうたったのは在原業平ですが、このくだりは伊勢物語の八十二段、惟喬親王の花の宴にて登場し、
――散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき
と返歌が詠まれます。
貴人雑人みなが入り乱れ桜をめでた宴でのこと、詠み人の名は残っておりません。

まさしく桜は散りゆくもの。
古くより刹那のうつくしさを愛されてきた桜は、万葉集においては山神の奉る御調(みつき)、すなわち山の神様から贈り物と称えられています。山の神、そして桜といえば木花咲耶毘売(このはなのさくやびめ)。“さくら”の語源ともいわれる、天孫ニニギノミコトの美貌の妻です。

――ヒメの父神、オオヤマツミはニニギノミコトの求婚を大いに喜び、妹姫に加え姉姫も送り出します。言祝いで曰はく、「姉の石長毘売(いわながひめ)を娶れば御子の命は岩のように永遠のものとなり、妹の木花咲耶毘売を娶れば桜の花が咲くように繁栄するだろう」。しかしニニギノミコトは、見目の醜い石長毘売に不興を示し、彼女を突き返してしまったのでした。それで現代まで伝わる皇孫のおん方々の命は、桜のようにはかなく、神々のようにとこしえの生を持たないのです。――

* * *

以上が古事記のよく知られた一節ですが、インドネシアにもよく似た神話があるのはご存知でしょうか。
そう、ここでバナナの登場です。

ある日神様が人間を呼んでバナナと石、どちらか好きなほうを選べという。石なんて食えないものいらないやい、と人間はバナナを選んだ。かくして人間はバナナのように子(実)を作ると死んでしまう(枯れてしまう)体になったのだった。石を選んでいれば不老不死だったのに… そんなばなな!というお話です。

不思議なことにこのような神話は世界中に同時代的に存在し、ひとくくりにバナナ型神話と呼ばれています。ユングの呼ぶところのアーキタイプ、元型です。ギリシャ神話では脂身の肉が登場し、聖書における智慧の実(リンゴ)もこの類型の一つとされています。いっぽう日本では四季風土を反映してでしょうか、バナナが木花咲耶毘売――桜というわけです。しかし他の多くの神話で、「限りある命」の象徴として選択されるものが食べ物であるところ、ニニギノミコトが選ぶのは美しい木の花(の姫)。これはちょっと特異な点かもしれませんね。古事記の時代より、日本人はひとときのうつくしい繁栄と、一方ではかなく散ってしまう命の象徴である桜を愛してやまなかったようです。

* * *

さて、冒頭にご紹介した広島造幣局の桜祭りは本日22日の夜20時まで。
今日が名残の春宵、お近くにお住まいの方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

それでは本日はこのあたりで失礼します。